メイの雑記帳

何でもない不安を分析するための何でも日記

池袋の西武百貨店

西武池袋店が大好きだ。
ここは子どもの頃からの遊び場であり、庭であり、多くの思い出は百貨店にある。

古い記憶では10階前後のフロアに書籍売り場があった。
ドリトル先生シリーズや児童向けの名作文学など、絵本や児童書はそこで買っていた。
その後、別館にリブロが入り、西武の本屋といえばリブロであった。
現在の三省堂書店で漫画や雑誌、実用書などがある辺りには美術書があった。
この美術書コーナーがなんとも妖しい空間で、古いヨーロッパの民家にありそうな白壁と緋色の灯が照らす澱んだ空気。
三省堂が入ったときには、上の階に博物館にありそうな妖しいグッズを扱う一画があり、1階には雑貨と喫茶があり、居心地は悪くなかった。
今や、本屋が縮小してしまって残念だ。

現在、ロフトが入っている上層階にはレコード、CD、音楽売場があったはずだ。
20年ほど前、子供が小さい頃にもよく行っていた。

そして、最上階の12階にはこれまた妖しい物を集めた展示フロアがあった。
サイフォンや地球儀やガラスのペンや何やら、古めかしい器具が不規則に飾られていた。
売上は度外視して作った趣味の空間だったろう。
大学生のとき、そこで澁澤龍彦展が開催された。
澁澤の書いた字が私の字に似ていると思ってものだ。
ロフトもいいのだが、あのような贅沢な空間はもはや作られないだろう。

屋上にはちょっとした遊園地があった。
小さな電車で屋根のある空間に入ってゆく、ディズニーランドのアトラクションとは比べるべくもない小さな遊具が、とても楽しかったのだ。
屋上といえば金魚。
東武デパートの屋上では毎週のように金魚すくいをして、池袋の家に持ち帰った。
東武の金魚屋はなくなってしまったが、西武の屋上にはまだ昔からの金魚屋も釣堀も盆栽も残っている。

そして、西武の食堂といえば、銀座立田野の釜飯だったのだ。
混んでいるときは大きめの丸いテーブルで相席だった。
かに釜飯とプリンアラモード、釜飯と甘味といえば立田野に限る。
祖母とも母と弟とも何度も通った、池袋西武の銀座立田野。
広い店は改装で狭くなり、数年前の改装でなくなってしまった。
コロナの渦中で吉祥寺にあった店も閉店し、立田野は廃業してしまい、どこにも無くなってしまった。
今にして思えば、釜飯についていたお吸い物は化学調味料の味だったかもしれない。
釜飯も子ども好みの濃い味だったかもしれない。
それが昭和への郷愁というものだろうが、忘れてはならない思い出だ。

今や、私は西武百貨店の外商顧客となり、毎日のように通っている。
これまでもオーナーが変わるたびにデパートは様変わりしてきたし、多少の変化は仕方ない。
これからも新たな思い出を作らせてもらいたい。

呼吸困難で緊急搬送

高校生の娘がコロナウイルスに感染した話の続き。

発熱から5日が過ぎ、熱はすでに下がっていた。
鼻水がつまっているがそれ以外の症状は軽快したと思われた。
しかし、コロナが重症化するのは発症から5日目が多いという情報を見て、本人は不安がつのってしまったようだ。

朝、シャワーを浴びて階段を上がってくると息があがって苦しいとのこと。
たちまち息苦しそうになり、本人はうろたえて救急車、救急車と訴えている。

救急車を呼ぶべきか、とりあえず東京都新型コロナ相談センターに電話した。
近隣の医療機関紹介と看護師からの助言ができるとのこと。
転送先の看護師に状況を伝えると、その場で医師に相談した上で、かかりつけの病院があるならそこに行けば、というお答えだった。

かかりつけの病院は電話をかけても話し中でずっとつながらないのだ。
そんな話をしているうちに、唇は紫色になっていく。

相談センターに電話している途中で、本人はたまらず自分で119に電話していた。
消防署は近くにあるので、電話を切ったらすぐにサイレンの音が聞こえた。
なんとか玄関までたどりつき、靴を履き、受診に必要そうなものをそろえた。
ほどなくして救急車が到着し、救急隊のおじさんが3人やってきた。

その場で血中酸素濃度を測ったがまったく下がっていない。
コロナでたいしたことない人が多いんだよねと言われるも、1型糖尿病だとわかるとすぐに搬送準備を進めてくれた。
かかりつけの病院は小児の入院はできないが、とりあえず診察はできるというのでそこへ向かうことになった。
都心に向けて、トラックの渋滞をかき分け、救急車はどんどん進む。

すぐに救急車が来たことで本人は安心し、それだけで落ち着いた。
呼吸困難の症状は肺機能の低下ではなく、過呼吸ではないかとのこと。

到着した病院では血液検査などを行い、入院の必要はないということになった。
昼過ぎには自宅へ帰り、事なきを得た。

けっきょく、コロナが重症化するのではないかという不安から過呼吸が誘発されたということだと思われる。
息苦しくなり、動悸が激しくなる。
これ以前にも映画館や混んでいる電車内などで似たような症状があったばかりだ。
1型糖尿病があるので、低血糖を第一に疑うが、血糖値に異常はない。
これはパニック障害ではないかと思い、本人の希望で精神科を受診することとした。

 

続々と罹患

目が覚めてしまったので最近の記録をつける。

6月は娘が新型コロナウイルスに罹り、悲惨であった。
高校の体育祭でうつされた可能性が濃厚である。
学校でも流行っていたもよう。

発症直後は39度を超える発熱があった。
土日の発症だったため、週明けに近所のクリニックに行くもすでに発熱患者の受付は締め切られており、他のクリニックでも当日の受入枠はなし。
とりあえず、検査キットを買って、自宅で検査することに。
抗原検査キットの反応は鈍いが、はっきりと陽性を示す線があらわれた。

さらに翌日、ネットで予約をとった耳鼻咽喉科を受診した。
通常は対症療法のみだが、基礎疾患がある人はコロナ専用の薬を処方してもらえるとのこと。
塩野義製薬の新薬ゾコーバを処方してもらった。
高校生まで医療費がタダになったから有難い。
ゾコーバは10割負担だと一錠およそ7400円、それを1治療あたり7錠もらえば3割負担としてもかなりの値段になる。
診察、検査が3割負担だとおよそ4千円。
合わせれば1型糖尿病にかかる月当たりの通院・薬剤費よりも高い。

そして水曜日、朝から体調は悪そうで、息苦しさを訴える。
空気を吸っても肺に酸素が入らない感覚で、本人は錯乱状態となった。

次回、救急車を呼んだ話。

久々に眠れない

このところ心身ともに体調は良く、眠れないこともなかったのだが、今夜は久々に眠れない。
眠れないと昔に思い出などが浮かんできてやっかいなのだ。

こういうときは起きていればよいだけだ。
眠れなくてもどうということはない。

まだ週の半ば、仕事に行くのも疲れる頃だ。
職場も順調だが、人の入れ替わりもあって、ひそかにストレスがたまっていたかもしれぬ。

職場の打ち合わせで使う小部屋は、パニック気味の状態ではけっこう辛い。
ドアを閉められると閉塞感が襲ってくるけど
マスクもしているので尚更だ。
でも大丈夫だ。
気分が悪くなったとて、職場は病院ではないか。

日々、小さなストレスはあるが何とかなるものだ。
大丈夫、大丈夫。

 

手術室のドア開放

先月、皮下腫瘍の摘出手術を受けたときのこと。

病院ではなくクリニックなので手術室といっても簡易なものだ。
手術台がひとつ、そこの人が3人も入ればスペースにゆとりはない。
30分くらいとわかっていれば落ち着いていられると思っていたが、ドアを閉められるとやはり意味のない不安が襲ってくる。

看護師にパニック気味で、狭いところが苦手だと伝えた。
そうしたら、あっさりドアを開けてくれた。
なんと手術中も開けたままでよいそうだ。
窓にかかったカーテンも半分開けてくれた。

病院の本格的な手術室ではあり得ないだろうが、クリニックではそんなことが可能だったとは。
てっきり、手術室はどこも厳重な密室だと思っていた。

ドアが開いていればかなり安心である。
そう考えれば美容室も店のドアは開いているのでシャンプー台も怖くない。
怖くないはずだ。

 

良性の腫瘍だった

11月、左腕の皮下腫瘍を摘出した。

12月、病理診断結果が出た。
予想どおり石灰化上皮腫だった。
悪いものではなく一安心だ。
よかったよかった。

1年前の夏ごろ、左上腕の内側に米粒ほどの何かに気づいた。
半年ほどたつと1センチほどに大きくなった。
さらに半年、また大きくなったような気がした。

触ると固く、その塊と周囲の境界は明確だった。
そういうときは悪性腫瘍の可能性は低い。
そうかってに解釈したが、気にはなる。

さて、どこの病院に行くか。
高校生のとき、同じような腫瘍が背中にできた。
それと同じような手術になるだろう。
たいした手術ではない。
大学病院に回されても厄介だ。
石灰化上皮腫で検索し、すぐに手術ができそうな形成外科クリニックにした。
結果、とてもスムーズに診てくれた。

気になったらもっと早く行くべきだった。
不安な時間を過ごしてしまった。
だが、これでひとつの不安は除かれた。