4月1日は職場でも人事異動が多く、ちょっとした別れも伴う。
仕事で縁があり、お世話になった人がいなくなるのは、寂しいものである。
そういえば、子供の頃はそんな寂しさを感じることもなかった。
同じ学校の人たちと卒業して会えなくなっても、引っ越してゆくクラスメイトがいても、別れの寂しさを感じることもない、どこか感情が欠落した子供であった。
初めて、人に会えない寂しさを実感したのは大学生になってからだろうか。
年々、この人恋しさというものは増幅してゆき、50歳を手前にしてますます敏感に感じるようになってきた。
幼い頃から、卒業式で泣くような人を理解できなかったものだが、別れを寂しがる感情をあたりまえのように抱くことが、人として当たり前だったのだろうか。
人生も半ばを過ぎて、私もようやく当たり前の、人間らしい感情を持てるようになったというこだろうか。
そんな感情を抱えるのは苦しいものだが、人としての醍醐味なのだろう。
さて、昨年から蔓延しているコロナウイルスのせいなのだろうか、吉祥寺にあった甘味処のお店である銀座立田野が1月に閉店してしまった。
立田野の本店は銀座にあったが、これは数年前にビルの老朽化を機に閉店してしまい、各地のデパートなどにあった店舗も今やどこにも残っていない。
まだ吉祥寺にあるから大丈夫、いつでも行けると楽観していたが間違っていた。吉祥寺店には行ったことはなかったものの、そこに立田野という名前があることに安心していたが、これで実店舗はすべて閉店してしまったようだ。
もはや、あの釜飯を食べられる立田野は消滅してしまったのか。
私の行きつけだった立田野は西武デパート池袋店にあったものだ。
まだ幼い頃、池袋のデパートには毎週のように出かけてては、デパートの食堂で昼食をとることが家族の慣わしだった。
そう、立田野は昔のデパートにあった食堂そのもだった。西武デパートの食堂エリアの一角にある、かなり広いお店であった。
たしか、6人くらいは座れるだろう円卓と、4人掛けのテーブル席があった。
円卓のほうは、他の客と相席になることも多かった。今どきはレストランで相席になることも滅多にないが、ひと昔前のデパートの食堂は相席が当たり前だった。
店員の服装は青いスカートに青いベストだったろうか、これまた昭和のデパートなどよく見られた制服である。そのレトロな制服は数年前の閉店までずっと同じだった。
デパートのレストランエリアは何度か改装され、立田野の店舗も位置や広さを変えて存続してきたが、ついに池袋の店は数年前の改装で姿を消してしまった。
立田野といえば、あんみつなどの甘味が有名であったが、レストランでは釜飯が数種類あり、私はこれが大好物だった。なかでも私の好物はカニ釜飯である。
まだ小さい頃から、昼にはいつも釜飯を注文して、デザートにバナナとアイスクリームがたっぷり入ったパフェを食べた。いま思えば、子供ながらにたくさん食べたものだ。
釜飯にはお吸い物と漬物がついていた。お吸い物は、おそらく粉にお湯を注ぐだけの簡単なものだったかもしれないが、これがまた子供の頃から大好きだった。
小学生の頃から高校生、大学生となっても、家族でよく池袋のデパートに行った。
池袋での昼食といえばデパートの食堂で、たいていはこの西武池袋店の立田野か、東武デパートのスエヒロだった。そのスエヒロも同じ店は残っていない。
立田野には数え切れないほど来ているが、小学5年生頃だったか、祖母と一緒に食事をしたことが記憶に残っている。
立田野にもお子様ランチがあり、それを注文した。祖母は大人用の釜飯を注文し、私がその釜飯を食べ、祖母がお子様ランチを食べる。お子様ランチを注文できるのは子供だけだったが、年寄りにもちょうど良い量だったのだろう。
子供の頃からの思い出の店、絶品の釜飯、デパートの食堂。
就職してからも、出張の直前にわざわざ立田野へ立ち寄ったりもした。
大阪のデパートにも立田野を見つけ、宝塚へ行ったときにはよく立田野に入った。
夫とは銀座の本店にも行った。
子供ができてからも、家族で何度か利用した。
立田野はずっと、家族の思い出とともにあった。
立田野は、期間限定イベントなどに甘味の店として出店することもあるようだ。
また近いうちに釜飯を出せる店舗を復活させていただきたいものだ。
札幌にも立田野があったようで、そこも近年に閉店してしまったが、その後にできたお店でも釜飯をだしているようだ。麻布茶房という店である。麻布茶房は東京にもあるが、釜飯と謳っているのは札幌だけのようだ。
札幌に行くのは大変だが、立田野の後継としてその釜飯店には頑張っていただきたい。
東京でも代わりの釜飯店を開拓することにしようか。
池袋の東武デパートにあったスエヒロも思い出深い店なのだが、これについてはまたあらためて書くことにしよう。
大好きな立田野の釜飯がなくなって寂しいことこの上ないが、最近、ローラアシュレイが国内に復活したのを目にして少し気持ちも落ち着いた。
ローラアシュレイはイギリス発祥で、花柄の特徴的な雑貨と洋服のお店である。私はここの洋服を何着も持っている。気軽に着られて、趣味が合い、体型にもあうのである。
やはり数年前に、日本国内から撤退してしまったが、再び出店をはじめた。
これで着る物には困らなくなりそうで安堵した。